■第3回:「色と物体」
戸津川 晋(東洋インキ製造株式会社・広報室)
色を構成する要素は大きく分けて三つになりますが、光に続く二番目の要素は「物体」です。
言葉で書くと分かりづらいものですが、物はそれぞれ固有の色をもっており、いかに光が満ち溢れていても、物自体に色が存在しなければ色として認識することは出来ません。
八百屋さんの店先においしそうに飾られたリンゴやバナナ。庭に咲いた黄色や紫など美しい花の数々など天然の物体もそれぞれに美しい色を持っています。
しかし、正確に言うとリンゴや花自体色を持っているのではなく、対象となる物体に当たる照射光のなかから、最も適する光を吸収することで、残された色光が反射や透過して、私たちの目に色の感覚を与えているのです。
乱暴な言い方ですが要はその物体が持っている物質によって色光は反射と吸収があり、反射している色光が色として認識されているとも言えましょう。
リンゴや花などの天然物体にはこのように色光の選択的な吸収を行う「色素」という物質が含まれています。例えばリンゴにはアントシアン、またトマトやニンジンにはカロチン、バナナにはフラボン、青葉にはクロロフィルなどというさまざまな色素が含まれており、これらの色素によって色が形成されています。
2. 岩や土からできていた無機顔料
これらはいずれも鉄やカーボンをはじめ、各種の金属を主成分とする有色の粉末で「無機顔料」とよばれる分類に属するものでした。現在でもこれらは「岩絵具」という名称で、日本画家などに使用されています。
人工的に無機顔料がつくられるようになるのは1700年代になってからですから、それまでは天然に産出する有色の岩石や土などを選んで使っていました。有色の顔料は金や銀に劣らぬ高価なもので、誰もが自由には使えませんでした。そのほとんどは王様や貴族の所有する宝物となっていました。
『魏志倭人伝』という古代中国の書物に、239年に日本の女王が中国の魏の天子に使いを派遣し、貢ぎ物を献上したお返しに金印や銅鏡、真珠などとともに鉛丹(赤色の顔料)を授けたということが記録に残っています。
中世になっても画家たちは宮廷に所属して、絵を描くときには王様から特別に顔料を支給してもらうことが必要だったのです。
また1500年ごろ、鉄や鉛などの安い金属を、煮たり焼いたりすることで金に変えるという「錬金術」が発達しましたが、その努力はすべて失敗に終わりました。皮肉なことにその過程で各種の無機化学の技術が生かされるとともに、たくさんの無機化合物もつくり出されました。
その中で特に美しい色をもったものは、貴重品であった着色用の顔料として使えることに気付き、いわゆる無機顔料が次々と人工的につくり出されるようになりました。
天然の無機顔料を使って絵を描くことよりはずっと後の時代になりますが、紀元前1600年ごろから紀元前60年ごろにかけ、地中海沿岸のフェニキア、エジプト、ギリシア、ローマなどで貝の身から採れる液体を使って、貝紫という染めたものをつくる技術が盛んに行われるようになりました。
1グラムの染料をとるのに数千個の貝を必要としましたので、それから得られる染物は「帝王紫」の名称で呼ばれ、王様や貴族しか着用することが出来ませんでした。
さらに時代が経つと、虫や植物からコチニールレッド、茜、藍などの染料がとられるようになり、次第に染色技術が盛んになりました。
しかし、例えば藍は英国が領有しているインドの特産物であるなど、天然染料の産地は限られていたため外国に植民地を持たないドイツなどは染料の入手が容易ではなく、なんとか人工的に染料がつくり出せないかと学者たちが研究を続けていました。
その結果、1800年代後半に入って、石炭から灯火用ガスをとった残りカスであるコールタールを原料として多くの染料が合成されるようになりました。
例えば1856年にモーブ(紫)が、1868年にアリザリン(赤)が1880年にインジゴ(藍)などがつくられ、この時代以後、染料合成は活発に進められ、これまでに1万種以上の染料がつくり出されています。
染料は水に溶けるので、この溶液に白い布をつけると染料が繊維の間に吸着されて染色が行われます。
物体と色、また少し難しいところもありましたが、「色」の素となる大切な材料ですので、是非興味をもって戴きたいと思います。次回は引き続き物体の中の顔料の話となります。

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