■第1回:「紙の発明」(前編)
小宮 英俊(紙の博物館学芸部長)
紙料を手でかきまぜてみると、軟らかく、薄い粥に似た感触がある。金網や簀の子などで汲み上げると、薄く、平らな湿紙が簀の子の上に出来る。触ればたちまち形がくずれてしまう、ほんとにひ弱なものである。その上に布をかぶせ、静かに水を絞ると、やや薄くなるが、まだまだ弱く、ひっぱればすぐに切れてしまう。手っ取り早く乾かすためにアイロンを当てると、湿紙は水分が少なくなり、乾いて来るとともに、たちまちのうちにしっかりした、丈夫な紙に変身する。粥のような紙料から機械的強さをもった紙が立ち所に出来上がる、まさに手品である。
紙を抄いていて、この現象にはいつも感動を覚えるものである。だれがこの製紙法の原理を発明したのであろう。紙の発明はすばらしい。
[紙の博物館では日曜日に紙すき教室を開いていて、牛乳パックや新聞紙などを原料にしたハガキ作りをしている。これを体験した人に感想を書いてもらうと、初めて紙を漉いた人は私と同様に、驚きと感動を持つ人が多い。紙つくりは楽しい、この想いを少しでも多くの人に伝えたいと願っている]
紙は短い繊維が絡み合い、薄く、平らな層をなしたものである。繊維を何本か撚って糸にして、縦糸、横糸で織り上げれば織物が出来る。世界の多くの民族は織物を作り、衣料や敷物の生活用品として、使用して来たが紙は発明されなかった。
紙は文字の国、中国で発明された。中国の四大発明は紙・印刷・指南針(磁石)・火薬であるが、中でもとりわけ素晴らしく、人類の文化に貢献しているものが紙である。
![]() 古真綿(絮)を水の中で叩き、取り上げ、簀の子の上に紙の層が出来ているのを取り上げている(造紙史話編写組編造紙史話より) |
中国に木綿がもたらされたのは後世であるので当時、防寒に使用した真綿(屑繭から作った)のぼろ綿が原料である。
中国の紙の歴史書「造紙史話」はこの事を挿絵を用いて解説している。
ぼろ綿を簀の子の上に拡げ、水の中で叩き、汚れを落とし、水中から引き上げ、叩き洗い終わった真綿を取り上げると、簀の子の上に薄い層をなして紙が残る。この現象から紙つくりが考え出されたと言われる。
真綿、すなわち絹の繊維からではこれを水の中で叩き、汲み上げ、簀の子の上に層をなし、残ったものを乾かしても紙にならない。きわめて弱いシートが出来るので、ひっぱればすぐに切れてしまう。
植物の繊維を原料とした紙では水中から紙料を汲み上げ、乾かすと繊維と繊維の間を結び付ける水素結合が生じて、紙が出来るが、絹の繊維では水素結合が生じないので、弱くて、実用性のある紙にはならない。
紙の原料である植物繊維はセルロースが多層構造をなしている。これを水に浸けると繊維は膨潤し、軟らかくなる。これを叩くことにより多層構造が崩れて、外側の層はほぐれて、房の様になり、内層は崩れてくる。これを簀の子で汲み上げ、脱水させ、乾燥させると、繊維と繊維の間に水素結合を生じ紙が出来上がる。
後で述べるように「説文解字」が書かれた紀元100年頃にはすでに紙が作られ、使われていたので許慎は植物繊維を原料とした紙を知っていたと考えている。
![]() 漢の時代の製紙工程(潘吉星著「中国製紙技術史」より) |
蔡倫は前漢明帝の時(永平BC58〜75)、桂陽(現在の湖南省来陽県)で生まれた(生年は不明)。永平の末、都にのぼり、宦官となる。和帝の時には出世して、中常侍(宦官において高い官職)になり、さらに尚方令となり、剣や諸機械の製造を監督する。
元興元年(AD105)、和帝に紙の製造を報告した。即ち紙の発明者は蔡倫と言われる所以である。
後漢書には次の様に記されている。
「倫乃造意用樹膚麻頭及敝布魚網以為紙。元興元年奏上之。帝善其能」
「自是莫不従用焉。故天下成称祭候」
蔡倫は意(こころ)を造(つくし)て樹の皮、麻の切れ端、麻のぼろ、魚網を用いて、紙を作り、元興元年(105年)、和帝にこのことを奏上した。帝は彼の働きを褒められた。これからのち、紙が用いられたので、人々はみな蔡候紙として誉め上げた。
蔡倫は尚方令として、職人を指導、監督して実用性のある紙の製法を確立したと考えている。
蔡倫は樹の皮、麻の切れ端やぼろ、魚網など植物繊維を原料に紙を作っている。蔡倫の時代の製紙の状況の推定図が潘吉星著「中国製紙技術史」に出ている。

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