■第2回:「紙の発明」(後編)
小宮 英俊(紙の博物館学芸部長)
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蔡倫祠(1991年9月湖南省来陽にて) |
1.原料の麻のぼろなどを切り刻み、水で洗う。
2.草や木を燃やして、灰を採り、桶の中の水に入れ、笊(ざる)で濾過して灰汁(あく)を作る。
3.水洗いしたぼろ切れを灰汁で煮る。
4.石臼で搗く。
5.繊維を水洗いする。
6.繊維を紙槽に入れ、かき混ぜて紙料液(原質)を作る。
7.木の枠に網をはった紙すき器(紙模)を両手で持って紙料液の中に入れ、紙料をすきあげる。
8.紙すき器ごと立て掛けて乾燥させる。
9.乾いたら、紙すき器から紙を剥がして出来上がり。
この工程は現在の製紙の基本工程(植物体から繊維を取り出す〔パルプ化〕→繊維を水中で叩く〔叩解〕→すきあげる〔抄紙〕→脱水乾燥)と同じである。
漢の時代の紙すき器は木の枠に網をはったものと推定されている。現在でもタイ国の北部などでは同じ様な紙すき器を使って紙を漉いている。
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蔡倫の墓(1991年9月湖南省来陽にて) |
1991年、京都の森田和紙、専務取締役森田敬康氏の提唱で中国造紙見学団が作られ、これに参加し、蔡倫の生まれ故郷、来陽に行くことが出来た。
長沙から南、直線距離約200kmに来陽がある。蔡倫の屋敷跡と言われる所に蔡倫祠があり、小さな資料館となっている。少し離れた所に蔡倫の墓がある。
円形の墓場の上に草が生い茂っていた。人類文化に大きく貢献した偉人の墓が荒れているのは残念であった。
蔡倫が年少の時、生まれ故郷、来陽をあとにはるばる都長安にのぼり、自ら宦官となって宮廷に仕えている。
約二千年前に、蔡倫はどのような想いを抱いて都に行ったのであろう。来陽から長沙までも遙かにあるのにさらに長安まで、中国は広く、大きい国である。
平成5年(1993)紙の博物館で、放馬灘紙、懸泉紙を発堀した甘粛省文物考古研究所副教授何双全氏の講演会が持たれた。
懸泉紙(現在、最古の有文字紙)が出土した懸泉置遺跡は、前漢から晋魏の時代まで使われたシルクロードに沿った郵亭(郵便局)のゴミ捨場で、地層ごとに木簡も同時に出土して年代の推定ができた。前漢の時代、シルクロードの漢の前哨基地に届ける物の中に記録材料として、木簡として紙が使われていたことは明らかである。
![]() 懸泉紙(85mm×70mm 1992年、中国新彊省敦煌の北東、懸泉置遺跡より出土) | ![]()
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長安の都から遥かにはなれた土地で当時の人々はどのような思いで木簡や紙(書簡)を読んだのであろう。シルクロードの乾燥した砂漠に守られて紙が2,000年の後、姿を現したのに感銘を覚えた。

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