■第4回:「豆本の世界とマイクロ技術」(前編)
世界最小の本を作る日本の印刷技術。 豆本はそもそも聖書から始まった歴史の古いもの。 現在ではマイクロ技術の結集として位置づけられています。
ある日本の印刷会社が、ギネスブックに挑戦するために制作した豆本は、縦横 1.4 ミリ角。 指先におくとそよ風で吹き飛んでしまいそうです (これを豆本よりさらに小さい本という意味で、マイクロブックと呼んでいます)。
でも、小さいとはいえ立派な本。 装丁も凝っていて、表紙に羊皮紙を使っています。 もちろん、中には文字が印刷してあるのですが、肉眼では読むことができません。 ルーペ (虫メガネ) を使って拡大して、ようやく読めるほどの文字が並んでいます。 ページをめくる場合も、指先ではめくれず、ピンセットを使ってめくるのですが、扱い方を誤るとページが破れてしまいそうなほど。
このような古今東西の豆本を集めた博物館が、静岡県藤枝市にあります。 この博物館は 「現代豆本館」 といい、昭和 42 年に初代館長が私費を投じて建設。 日本国内はもとより、世界各国から集めた豆本が約 6,000 冊保有され、その内約 1,000 冊が展示されています。
館内には 『ケネディ大統領就任記念豆本』 や 『王貞治伝記豆本』、ミノムシの皮で表紙が飾られた 『ミノムシ豆本』 などが展示されており、また、一冊の値段が数十万円から数百万円するものや、世界で一冊しかなく値段がつけられないものなどそのコレクションは貴重なものばかりです。
そもそも豆本は、宗教改革が盛んだった 16 世紀初めのヨーロッパで、持ち運びに便利なことから作られた、聖書を抜粋した小型の本が始まりだといわれています (かのナポレオンは戦場に豆本を運ばせたという史実もあります)。 その後、米国や日本でも制作されるようになり、数多くの種類が現存しています。
日本での始まりは江戸時代。 今でいう文庫本ぐらいの大きさで、主に女性や子ども向けに作られたそうです。 明治以降も、かぎられた豆本愛好家が細々と制作・出版を行っていました。
戦後の昭和 20 年代後半には、出版界が活況を呈してきましたが、売れ行き第一主義の時代では、大量生産に適さない豆本はあまり注目されることがありませんでした。
そのようななか、昭和 28 年に札幌の豆本愛好家が作った 『ゑぞ・まめほん』 が戦後の豆本ブームのきっかけとなりました。
この豆本は縦9センチ、横7センチの大きさで、年4回発行され、営利を目的とせず、会員制で配布していました。 一般の出版社が扱わない地方の文化などがテーマとして取り上げられ、この豆本をきっかけに全国の豆本愛好家が次々と郷土色豊かな豆本を制作・発行していきます。
1965 年までは、西ドイツ・マインツ市のグーテンベルク博物館で発行していた豆本が、世界で最小といわれていました。 この本は博物館の改修資金を集める目的で販売され、聖書でおなじみの 「主の祈り」 を、オランダ語、英語、フランス語、アメリカ語、ドイツ語、スペイン語、スウェーデン語の7ヵ国語で印刷したものです。
大きさは縦、横ともに 5.5 ミリ角、文字の大きさ縦約 0.17 ミリ、1ページに約 70 文字程度印刷され、当然肉眼ではとても見えず、ルーペを使用してかろうじて読めるようなものでした。
しかし、この豆本は技術的にたいへん優れたものです。 ベントン彫刻機を用いて、金属板にダイヤモンド針で直接彫刻して1ページごとの版を作り、凸版印刷方式 (活版)を採用することで、0.17 ミリの文字の印刷を実現しています。 したがって、可読性 (印刷文字の読みやすさ) がよく、しっかりとした作りで高い評価を得ていました。
そこで活版の代わりに、カメラを用いた写真製版技術を使用する方式を採用。 1965 年に日本の印刷会社は縦横 3.5 ミリ角の大きさで、ひらがなの 『小倉百人一首』 と杜甫の漢詩 『飲中八仙歌』、英文ではリンカーン大統領の 『ゲッティスバーク宣言』 と、聖書から 『創世記第一章』 の4種類を製作し、発表しています。
これらは、ページ数が最大で 24 ページ、一文字の大きさが縦 0.12 ミリ (漢字の場合は 0.35 ミリ)、文字の線の太さが 0.02 ミリというもので、グーデンベルグ博物館の本よりも縦横とも2ミリ小さく、文字も世界最小の仕上がりになっています。
もちろんその時点で世界最小の本の誕生となったことはいうまでもありません (印刷会社ではこれらの本を、豆本よりもさらに小さい本という意味でマイクロブックと名付けました)。
1960 年代半ばごろは、アメリカをはじめ世界でマイクロ出版への要望が高まりを見せていた時期でした。 大きな幅のある百科事典などの出版物、場所を取ってかさばる会社の資料や電話帳、病院などのカルテなどをマイクロカード化しようというものです。
そうした時代のニーズに応え、日本の印刷会社は世界最小の本を作った技術で西暦 1965 年から 2000 年までの 35 年間使用できる名刺大サイズのカレンダーを製作したり、非常に膨大な量のお経をお守りにおさめるなど、数々のマイクロ出版を手掛けていきました。
(余談ですが、マルチメディアが取りざたされる今日、百科事典や辞書、コンピュータのマニュアルなどをCD−ROMやCD−Iなどの電子出版でコンパクトにする傾向が活発になっています。)
タイトルは 『THREE BLIND MICE』 といい、45 冊が製作されています。 ただしこの本は寸法こそ最小のものでしたが、文字の大きさは天地約 0.2 ミリで、1ページ内の文字数も約 15 文字程度のものでした。
このグレニファープレス社に対抗して日本の印刷会社では、さらに小さいマイクロブック、従来の基準をはるかに超越した“ウルトラマイクロブック”と呼ぶべきものを手掛け、ギネスブックに挑戦しています。
この試みは、商業的な価値よりも、むしろ技術的な極限を目指した、限界への挑戦というおもむきが強いものでした。 しかし、本や文字のサイズの小ささだけでなく、印刷品質の面やセットされた時の外観から内容まで、本が持つすべての条件を兼ね備えており、充分に商品として通用するように配慮されたものでした。
この本は、スコットランドの本と比べて縦横とも 0.1 ミリ小さいだけでなく、文字の大きさも 0.08 ミリと半分以下の寸法を実現しています。 1ページの文字数もスコットランドのものが約 15 文字なのに対し、この本は 50 文字〜 100 文字と格段に多いでき上がりとなりました。
すぐ後を追って、2種類のウルトラマイクロブック、花言葉の本 『LANGUAGE OF FLOWERS』 と西洋占いの本 『THE ZODIACALSIGNS AND THEIR SYMBOLS』 を製作し、前述の本と合わせてウルトラマイクロブック3部作として市場に発表しています。
この時点でウルトラマイクロブックに関する印刷技術では、日本の印刷会社が群を抜いていたといえるでしょう。 しかし、この3部作の本はギネスブックに申請されませんでした。
1981 年についに縦横それぞれ 1.4 ミリのウルトラマイクロブックの完成にこぎつけています。 この本に印刷されている文字の大きさは、1文字が 0.07 ミリで、1ページに約 50 文字が印刷されており、当然虫めがねを使わないと文字が読めません。 体裁は 10 ページで、聖書の 『主の祈り<LORD'S PRAYER>』 が印刷されており、表紙には豪華な羊皮紙を使用しています。
このウルトラマイクロブックは、世界最小の本としてギネスブックにも掲載され、日本の印刷会社の世界最小の本への挑戦はここで、一応の終止符が打たれました。
(後の 1985 年に先ほどのスコットランドのグレニファープレス社から、童話 『OLD KING COLE!』 を収録した1ミリ角の本が製作・出版され、世界最小の記録が塗りかえられました。)

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