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13ルへはこういう時ではないと行く機会がないだろうという意見もあり、とんとん拍子にモンゴルへの旅が決定した。モンゴル国の状況モンゴル国の昨年の実質経済成長率は17%で、世界第1位だそうである。産業は主に畜産業と鉱業が中心で、現在モンゴル政府は金鉱や銅鉱や世界屈指の埋蔵量を持っているモリブデン、石炭等の開発を推進している。そして近年では、豊富な天然資源などを目的に外国からの投資が活発になってきている。その高い経済成長率を背景に、首都ウランバートルは建設中のビルが数多く見られた。また自動車の数がものすごく多いため交通渋滞もひどく、ウランバートル市内はこの旅行の直前からナンバー規制(毎日順番で下一桁2つ(例えば1と6とか)の数字の車が通行できない)を行なっていたが、それでも市内の移動はとても時間がかかった。大気汚染も深刻で、原因は郊外にある火力発電所の煙や石炭による暖房、大量の車の排気ガスであり、実際に鼻をかむと黒っぽかったり、やけにのどが渇いたりした。ちなみに車の80%以上は日本車(主に中古車)という印象で、相撲人気もあり、日本に対する印象は良いものとなっている。新モンゴル高等学校見学・入学式参加今回の旅は旅行会社を通さず、笹氣監事が支援している新モンゴル高等学校のジャンチブ・ガルバドラッハ校長に相談して、スケジュールや宿泊先等を決めてもらったため、新モンゴル高校を毎日のように訪れ、校長先生や卒業生、先生たちにはガイドや通訳をしてもらったり、食事に招待されたりと、大変お世話になった。新モンゴル高校は2000年秋に設立された。この高校を創ったジャンチブ校長は1963年生まれの今年49歳、中学校の教師をしていた1995年に日本の教育や人材育成の優秀さを学ぶべく日本への留学を決意し、山形大学で学んだ。最初は国費留学生だったが、その後私費での留学となり、妻や娘たちを日本に呼び寄せて生活したが、とても苦しい生活だったそうだ。当時朝は5時から新聞配達、夕方は5時から8時までが運送屋で荷物の積み込み、8時からスナックバーでのウエイターをして、帰宅は12時か1時。睡眠時間は、3時間か4時間という生活だった。その後、山形北RCの推薦で米山記念奨学会の奨学生に選ばれ、東北大学教育学研究科博士課程に進んだ。奨学生に選ばれた半年後山形北RCの例会で「モンゴルに国際的にも通用する高等学校を設立したい」という夢を話したところ、その夢の実現に賛同してくれたRCのメンバーが1999年秋に「柱一本の会」という組織を発足して、学校建設計画が本格的に動き始めた。一人が柱を一本分ぐらいの協力をしましょうとい新モンゴル高等学校記念旅行参加者