日本フォーム工連について
トピックス&ニュース
委員会情報
セミナー・イベント
各種データ
出版物案内
会員企業の紹介
会員企業掲載お申し込みはこちら
お問い合わせ
セミナー・イベント
   

 日本フォーム印刷工業連合会 業務委員会主催
       平成21年度第1回講演会 
     
「日本でいちばん大切にしたい会社」
       法政大学大学院教授 坂本光司 氏

 二つ目は、この会社は、今はほとんどいなくなってしまいましたが、中国残留日本人孤児で肉親探しに日本に来るというのが昔ありました。その方々に、肉親探しにきた最初の年からずっと検眼をしてあげて眼鏡をプレゼントしてあげています。
 検眼をして眼鏡をプレゼントしているのですから、皆さま方が使い古した眼鏡を安く買って、それを売っているのではないのです。検眼をしてあげて新品の眼鏡を帰るまでにプレゼントしている。これまでプレゼントした人は900人を超すそうです。
 それどころか、世界の難民のいる現場に出かけていって、その方の視力を測ってあげて、その人に合う眼鏡をつくってあげてプレゼントした眼鏡は、2万個を超すそうです。
 現地に行っているのです。アゼルバイジャンには数回行ったそうです。だれが行っているのか。社長、社員が行っているのです。出張旅費をもらって行っているのか。もらっていません。すべて休暇をとってボランティアで行っているのです。
 どうりで、私はこのお店に入ったら、ホワーンとしました。やさしさがすぐにわかりました。私は、どんな会社でも、電話をかけた瞬間わかります。受付に入った瞬間わかります。工場に入った瞬間わかります。この癒しは何だろうと思いましたが、理由がよくわかりました。
 何といっても驚くのは、中国残留日本人孤児の方が、このお宅に全員の方が礼状を出すのです。その礼状を読むとすぐわかります。
 こんな礼状がありました。日本語に直しますと、「祖国は、私たちを見捨てなかった。日本でいただいた数々のお土産のなかで眼鏡ほどうれしかったものはありませんでした」。70歳後半のおばあさんでしたが、その方がそういう礼状をよこしていました。
 もう一人のおばあさんは、これはつらかったですが、「花や木がこれほど美しいとは生まれて初めて知りました」と書いてありました。若い方は一瞬意味がわからないかもしれません。私も戦後生まれですが、その意味はよくわかります。その文章を読んで、私は目を真っ赤にいたしました。
 壮絶な手紙です。壮絶な話しです。花や木がこんなにも美しいものとは生まれて初めて知ったというのです。発展した上海に住んでいる日本人孤児は存在いたしません。私はずいぶん田舎もいきますから、彼ら、彼女たちがどういう生活をしているかよくわかります。ベトナムのホーチミンの郊外の方が、ペルーの山の中の子が、どんな生活をしているか、私は知っています。
 タクシーに乗りながら、カメラを撮りながら、涙が止まりません。同じ地球に住む同じ人間です。日本人は明らかに豊かさの貧困状態に陥っています。豊かになりすぎて貧困です。いちばん大切なものが貧しくなってしまったという感じがいたします。
 なぜあなたはここまでやさしくするんですか問いましたところ、思えば私も難民でしたと。この会社のホームページを見ていただきたい。恐らくこう書いてあると思います。「困っている人がいれば助けてあげたい」。
 北海道では知る人ぞ知るという会社ではないかと思います。売上高は出ていません。私もそのときは10人の大学院生を連れていきました。そのうち私を含めて3人が、涙を流しながら社長のお話を聞いているなかで、何をしようかと私が言わないまでも、行動を起こしてくれました。つまり、眼鏡を買ったということです。

 静岡県の磐田というところは、ヤマハ発動機の本社があるところです。ジュビロ磐田の本拠地があるところです。ここに従業員が200 人くらいの中堅企業があります。この会社も20社のなかに入っておりまして、本に書くか書かないか、すれすれのところだと思います。
 ゆっくり話をしたいのですが、時間の関係で簡単にいたしますが、この会社は定年のない会社です。今現在いちばん年の多い方は88歳です。一昨年まで92歳の人がいました。朝出てこない。つまり、朝亡くなっていたということですが。88歳の方は、正社員です。その方がいると聞いて訪れた200 人いるこの会社は、長い長い工場である部品をつくっています。
 その88歳の女性に会うことが私の希望でした。社長の案内で、工場の隅から隅まで回りましたが、私は残念ながら彼女を発見することはできなかった。
 「社長、あなた、いるといったけれども、きょう、休んでいるのではないか。いないではないか」といったら、「いや、先ほど先生がすれ違いました」といわれました。それは、私が目が悪かったのではないのです。あまりにも彼女が生かされていたのです。
 この会社の社員ほどやる気に満ちた顔をされて、つまり「自分たちもお年寄りのために貢献している」という、これが社員のモチベーションを高めています。なぜ高めているか。すべての強者はやがて弱者になる宿命のもとに生きているからです。
 年寄りになることを否定した強者は存在しないからであります。すべての強者はやがて弱者になるのです。すべての若者はやがて年を取るのです。好むと好まざるとにかかわらずです。
私たちの行く末があんなにもひどいことされるのか、あんなにやさしいのか、私たちはどちらを選ぶでしょうか。
 簡単です。お年寄りにやさしくすればするほど、本物の強者は燃えるのです。それで燃えない男も女も、本物の強者ではない。偽物です。いつか捨てられると思います。いつか勝手に辞めていくと思います。そんな人に会社の文化を合わせる必要は毛頭ないと思います。やさしい社員が残るべきです。
 仕事が3割減った、売上高が3割減った。弱き人々の顔を見て、文句を言う男と女を集めて、休みの多い男と女を集めて、指名解雇はできませんから、辞めざるをえないようにする。これは違います。
仲間ではないですか。全員がボーナス、給料を3割下げるべきです。それで「このやろうッ」と思うような男は、あたたかい血が流れていないと思います。喜びも悲しみも苦しみも、みんなで分かち合う。これが中小企業の特徴なのです。
 大企業はブランドがありますから勝手なことができるでしょうけれども、私たちはそれをしたら終わりです。一生懸命働いている人々のクビを切るときは恐らく自身も路頭に迷うときと決めたほうがいいと思います。そういう会社ばかりを書いていたのです。だから、人々の胸を打ったかもしれません。
 いずれにいたしましても、88歳の社員がいる会社が存在するのです。その方が80歳のときに、さすがに社長にこういってきたそうです。「私は、あなたの会社に勤めて幸せでした。十分身も心も癒されました。これ以上いると足手まといになるでしょうから、そろそろお暇させていただこうと思います」と挨拶にきたそうです。
 そのとき社長はこう言ったそうです。「困ります。あなたは会社で必要な方です。どうかこれからも勤めてください。もしも8時から5時という勤務体に無理があるならば、1日置きでも半日置きでも結構です。あなたは会社で必要です」といったそうです。それが8年前だったそうです。
 81歳、82歳になっても、彼女は二度と「長いことお世話になったからそろそろ」とは言わずに、88歳になったという話であります。
 なぜそこまでできるかという理由も私は知っていますが、あまりにも深みにはまってしまう可能性がありますから、それはやめようと思います。
 これが二つ目に載せようと思っている会社の一つです。そんな例はいっぱいあります。

 いよいよその本の中に入ったほうがいいと思います。
本の中に5社書いておきました。1社は北海道のお菓子屋さんです。1社は神奈川県の会社です。この会社も多くの人の胸を打ったそうです。
 最初には長野県の会社を書きました。寒天をつくっている会社です。4社目は、静岡県の従業員5人の小さな小さな果物屋さんで、千疋屋も高野もかなわないという会社があるのです。この会社のことを書きました。
 最後に島根県の会社を書きました。これは石見銀山のふもとで、私の自宅から7時間半かかるところにある。恐らくこれほど辺鄙な場所が日本にあったのかというようなところです。私の自宅からベトナムのホーチミンにいったほうが早かったくらいのところです。いまだに山陰線は単線です。国家の基幹線路が単線です。高速道路なんてありません。そこにある会社に世界中から社員とお客さまが追いかけてくる。
 5社が5社とも不況のフの字もない。そんなにハイテクな商品をつくっていません。寒天です。果物も、市場にいって仕入れているだけです。あるいは、神奈川県にある会社はチョークをつくっているだけです。何がハイテク、ナノテクです。しかし、この5社に対してお客さまがひっきりなしに来る。何が違うのか。
 心に響く経営をやっているからです。ようやくこういった会社が報われるのです。ですから、いい時代です。技術でもなんでも人間のためにあるのですから、人間が幸せになることがいちばん大切です。

 では、お読みになっていない方も多いかもしれませんので、ちょっとかいつまんでお話しいたします。
 最初に「日本理化学工業株式会社」と書いています。このチョーク屋さんは、従業員50人です。ですから、どこにでもあるような会社です。なぜ私が「日本でいちばん大切にしたい会社」6000分の1にしたか。それは、この会社が大切なことをやっているからです。私たち強者がやらなければいけないことをやっているからです。
 具体的に話をします。どこにでもある会社ですが、どこにでもないことが、50人のうちの約35人は障害者です。
 つまり障害者雇用率が7割という会社です。しかも、障害者雇用でこの会社の障害者の半分以上ほとんどは重度障害者です。重度障害者は2人として法律上計算するから、法律上の計算では、この会社の障害者雇用率は100 %を超すというありえない数字になります。
 障害者雇用促進法は、法定雇用率が1.8 %ですが、全国平均1.6 %です。1.8 %を守っていない会社が日本で6割あります。その方々は罰金を払っています。日本の経団連の会長さんの会社も法定雇用率以下です。何がCSRだといいつきますが。リストラをやりながらCSRもなにもないではないですか。なぜリストラをやって博物館を建てるのですか。博物館をつぶして社員の生活を守るというのが基本的な経営者の使命ではないですか。トヨタも同じことをやっています。一部の地域で賢い女性の手によって不買運動が起きています。頑張ってくれなければ私たちも困るからです。一日も早く正気になってもらわないと、私たちも一緒に不幸になってしまうからです。残念ながら日本経済を支えているのは中小企業ですが、牽引しているのはやはり大企業だからです。
 ともかくこの会社は、従業員50人ということは、法定雇用率を守らなくていい。法定雇用率は正規雇用56人以上の場合で、あとは努力義務です。法律を守る必要はない。これがまず驚きです。
 二つ目の驚きは、にもかかわらず、最低賃金の除外申請はしていないのです。最低賃金の除外申請をすると、時間給が50円でも100 円でもいいのです。雇用の場をつくることのほうが先決ですから。普通は最低賃金適用除外許可申請をします。そうすると、1万円とか2万円です。作業所で働いている人の1カ月の給料は、私が計算したら、1万3,500円です。もちろん生活保護費の8万円が来ますから、9万3,500円が1カ月になります。彼ら、彼女らも人間ですから、月に1回はお寿司屋さんにいっておいしいお寿司でも食べたいと思うでしょう。しかし、食べたら終わりでしょう。食べられないでしょう。
 もっと驚きは、このことに気がついて50年前からやっているのです。私が11歳かそこらのころですが、戦後まもなくですので、栄養失調とか、いろいろな子どもが周囲にいました。ガラス窓に頭から突っ込んでしまうとか、常に柱に括り付けていないと背すじののびない女の子もいました。子どもには何が何だかわかりませんでした。そういうとんでもないやり方があり、ご自宅の方も隠していました。会社だって、そういう方がいたら、「なんだ、おまえ、おかしいんじゃないか」といわれた会社がいっぱいあります。そのときに始めたということのすごさです。きょうの話は皆さまだけでなく、社員にもしてもらいたいのです。いちばん大切なのは「やさしさ」です。やさしい会社に人は集まるのです。
 50年前に、会社の近くの養護学校の先生が訪ねてきて、まるで自分の愛する娘を頼むように、「来年、春、めでたく卒業する2人の少女の就職が決まっていません。どうか2人の少女をあなたの会社に採用してください」という話がスタートです。養護学校の若き先生です。
 たまたま教え子だった二人の少女、しかも、その少女は重度障害者です。まるで自分の子のように、頭を地べたにすり付けるように嘆願したという話です。50年前のことです。
 私はその話を聞いて、私も学生思いで、私ほど学生を思っている先生がいるのかというくらい自負していますが、とてもかないません。私は、自分自身のことも勉強させていただきましたが、その方が50年前に頼みにきた。
 しかし、当時の状況からして断るのです。当時の従業員は15人だったそうです。なぜ15人の会社を訪ねてくるのか。「川崎にはいい会社が山ほどあるにもかかわらず、なぜわが社に来るんですか」といったとき、一つこう言ったそうです。「私があなたの会社に来るのは、規模とかではありません。15人の社員の方があなたの会社に出社するときの様子、退社するときの様子を見て、あなたの会社ならば私たちの愛する2人の少女が幸せを勝ち取ってくれるにちがいない、幸せになるにちがいないと思ったから、あなたの会社に来ました。だから、どうぞ採用してください」といって嘆願をするわけです。何回も嘆願するわけです。それでも断った。
 とうとう「では、インターンシップ、1週間、2週間の就業体験をさせてください。あなたの会社で幸せを体感してもらいたいのです。幸せとはどういうことかということを、あなたの会社に1週間働くことによってこの子たちに与えたいのです。でないと、この子たちは、生涯、働くことができません。施設暮らしになります。施設は東京、神奈川には、不足していますから、北海道、九州に飛ばされます。飛ばされたら、お父さん、お母さんにめったに会うことはできません。どうか働く経験をさせて、またしかるべきところに就職してもらうのが、この子たちの幸せになると思うからです」といったそうです。
 そのときの先生を、テレビでは唯一のミスキャストですが、岡本夏生さんでした。レースクイーンといったあの女性の方です。しかし、大変うまく演技していました。泣かせました。よくあそこまでやってくれたと思いました。
 1週間、就業体験が始まり、終わる1日前。15人の健常者の社員が、社長を取り囲んで、「一生懸命働いているあの2人の少女を、明日で就業体験が終わってしまうということですが、どうか来年の4月1日に正規社員として2人とも採用してあげてください。もしもこの2人の少女ができないこと、やれないことがあれば、私たちが身を挺します。私たちが身代わりになります。私たちがどんなつらいことでも、どんなことでも私たちがやります。どうか2人の少女を正規社員として4月1日というめでたき日に採用してください」といって、15人が今度は嘆願したという話です。
 これほど慈愛に満ちた会社がありますか。私たちが守らなければいけない会社、私たちが応援しなければいけない会社です。どう見ても正しいです。以来、私は法政大学にも、「この会社のチョークを買ってください」と事務所に頭を下げました。
 ありがたいことに世の中では立派な人がいらっしゃるようで、東証一部上場会社の文具を扱っているトップメーカーの社長さんが私にメールを送ってきました。うれしくなりました。
 こう書いてありました。「わが社では、営業担当責任者を集めて、そこで日本理化学工業さんのつくっているチョークを仕入れて、努力して売りなさいと指示をいたしましたから、先生、安心してください」という。
「使います」「売ります」というのが非常に多かった。
 その少女が、中学校を卒業して入りましてから、昨年で65歳になりました。50年間、無遅刻、無欠席、無早退で勤めあげたそうです。自宅から会社まで、1時間半かかったそうです。雨の日も、凍てつくような寒さの日も、休むことはなかったそうです。
 それが実はテレビになったのです。皆さん、見ていただいたと思います。たまたま、テレビのためにマイクやカメラが入った時、50年勤めていた記念の永続勤務表彰式がありました。もちろん彼女に対してです。彼女にマイクが向けられました。彼女は私たちの前でこういいました。
 「きょうは、早く帰らなければ。お母さんが、赤飯が炊いて待っているから」といったのです。この話は、非常に堪えるのに大変でしたが。私はスタジオで解説している立場で、もう一人の女性で有名な女優の方でやさしい子だなと思った、ほとんどその子は涙を流しながら見ていました。
 テレビですから、そのお宅までいったのです。そうしたら、95歳のお母さんがいました。恐らくその子の幸せを看取るまでは死んでなるものかと思って生きているのでしょう。それは顔に見えました。
 65歳の娘さん。いまだに一緒にお風呂に入っているという話も聞いています。その一部始終をカメラマンがカメラを写しておったのです。そのカメラマンが私に手紙をよこしました。
 「長年カメラマンとしてやっているけれども、涙を流しながらカメラを回したのは生まれて初めてでした。映っているかしらと心配しました」という。健全なカメラマンでしょう。
 もっというと、あのスポンサーは中小企業なのです。夜の7〜8時の1時間番組です。テレビです。どんなにお金がかかるか、簡単に想像ができると思います。トヨタさん、キャノンさんなど夜の7〜8時というと5社も6社もスポンサーになります。何を見ているかわからないくらい、売らんがための広告宣伝が流れます。そんな広告はほとんどなかったはずです。可能なかぎりそれに時間をかけたはずです。しかも、たった1社です。しかも中小企業です。しかも産業機械をつくっている会社です。
 産業機械ですから、おじいさん、おばあさんがコマーシャルを見ても買えない会社です。その社長さんは、「本を読まない人のために、この本に書いてあることを一人でも多くの人に伝えたい。それがわが社の使命だと思いました」といって、スポンサーになるわけです。私が10人くらいのときから一生懸命応援した会社の1社であることは事実ですが、今、500 人くらいになりました。これが日本理化学工業さんだったのです。

 日本理化学工業さんだけではないのです。山ほどありました。実は横浜にもすごい会社がありました。一部、本の中に載せておきました。それを簡単にいいます。
 ある日、特別支援学校から3人の娘さんが先生に連れられてきたそうです。その先生は学校で選ぶことができませんから、会社で3人面接して、だれか1人とってくださいという話です。1人の枠しかなかったのです。ひどいですね。
 学校で選ばないとは気の毒だと思いますが、学校で各クラス担当の先生がもめるのではないですか。父兄さんがもめるのではないですか。結果的に3人来たという話です。
 A子さん、B子さん、C子さんとしておきます。A子さんは、軽度の障害、B子さんは中度の障害、C子さんは重度の障害を持った子どもたちでした。
 採用担当の社員の方が集まって最後に、「A子さんを採用します」といいました。つまり軽度の障害者です。採用しようというのでほぼ決まりかけたそうです。しかし、そこの従業員は約30人ぐらいしかいない会社ですが、その会社では何事もすべての社員が相談して決める。一部の特権幹部だけで決めない会社でした。
 その会社は全員が集まった。そうしたら、いちばん末席に座っていた男の子が手を挙げてこういったそうです。
 「社長、A子さん、B子さんではなく、私はC子をとるべきだと思います。なぜならば、A子さん、B子さんは、別の会社でも働くチャンスがあると思います。しかし、私たちがきょう目の前で見たC子さんが、私たち以外に採用される会社があるとは到底思えません。ならば、わが社がとるべきです」。一介の若者が「わが社がとるべきだ」といったのです。健全な組織です。

 しかし そのとった女の子が、こういっては失礼ですが、社員として頑張ってくれるまで相当長期の歳月がかかりました。その子はしゃべれない、書けないというのが前提で学校から入ってきたのですが、その若者は、「夜中に飛び起きて、C子さんは何か知らないけれども、なぐり書きをしている」という話を仲間から聞いて、文通を始めたそうです。しかし、数カ月間なしのつぶてだったそうです。
 にもかかわらず自分の思いを伝え続けたそうです。とうとううれしかったのか、1行返事があったそうです。1行でもうれしかったから、今度は数枚書いたそうです。今度は2、3行書いてよこしたそうです。またうれしくなって、今度は十数枚も延々とうれしくてしかたないから書いたそうです。
 その次の日は書いてこなかったそうです。それどころか、お昼を過ぎたら、背中をたたいた女の子がいたそうです。振り向いたら、その女の子が「いつもありがとう」といったそうです。その子は今、この会社の売り子さんです。つまり、いちばんしゃべらなければいけない人になったのです。つまり私たち大人は、彼女にしゃべらせなかったのです。しゃべらないものと決めつけておいたのです。
 ずっと苦しかったのだと思います。ずっと寂しかったのだと思います。とうとう胸襟を開いてあげたのです。その過程のなかでこの男性はやせ衰えたそうです。
 もっとすごいのは、その方がこの会社の2代目の社長に抜擢されるというこの組織のすごさです。しかもそれを推薦したのは、この子の採用に文句を言われた当時の社長です。親会社にいって、「次の社長は、○○君にしてください。○○君なら、この会社は全社員が幸せになると思います。私の最初で最後のお願いを聞いてください」といって辞める数カ月前に本社の社長に嘆願をしたという。その話を聞いてかつてのこの若者が二代目の社長になっていくという物語です。
 腐っていないのです。これが日本理化学工業さんに関係した話だったのです。もっとこの種の関係でたくさんありますが、これが実は「日本理化学工業」さんのところで書いて多くの人の涙を誘ったところではないのかなと思いました。

 「うちの会社でも障害者を採用いたします」と、ずいぶんと私のところに相談がきています。日本理化学工業さんの社員も生き生きしています。なぜ生き生きしているか。それは自分たちが、弱い立場の人のお役に立っているというこの気持ちなのでしょう。
 人間のやる気、モチベーションが低い会社に不況が訪れるのです。モチベーションの高い会社が業績が高いのです。私たちがやるべきことは、全社員のモチベーションを高めることです。モチベーションを高めることは、給料を上げるとかなんとかではありません。その会社に所属することでいい仲間にめぐり合いたいのです。程度の差こそあれ、貢献したいのです。お役に立ちたいのです。
 この会社の社員がなぜ燃えているのかという理由がよくわかりました。辞める社員がいないのです。

←前のページへ 次のページへ→
   
    Copyright (C) 2007 JAPAN BUSINESS FORMS ASSOCIATION. all rights reserved.
業務委員会
資材委員会
国際委員会
市場委員会
技術委員会
環境委員会
会長あいさつ
概 要
あゆみ
事業活動
役員紹介
各地区事務局連絡先
理事会情報
規 定