日本フォーム工連について
トピックス&ニュース
委員会情報
セミナー・イベント
各種データ
出版物案内
会員企業の紹介
会員企業掲載お申し込みはこちら
お問い合わせ
セミナー・イベント
   

  平成23年度第1回講演会(平成23年6月16日開催)
「知的障害者に導かれた企業経営と私の人生」
 (2) 
       講師 日本理化学工業株式会社 取締役会長
            大山 泰弘 氏
さらに、それが7割も超すというのには、もう一つきっかけがありました。企業が障害者を雇用する法律ができたのは昭和35年です。その後、なかなか一般企業での雇用が進まないので、助成金制度ができたのが昭和52年ですが、その4年前の昭和48年に、何とか雇用を広げようということで、障害者を雇用する企業に心身障害者多数雇用事業所のモデル工場融資制度を労働省が作ったのです。  
その制度は、会社の全従業員の50%を障害者を雇用し、且つそのうちの半分は重度の障害者を使う工場を作るなら国が全額融資するという内容です。
その労働省の本省から当社に直接電話がありました。労働省の方が言うには、「身体障害者についてのモデル工場制度は全国から結構申請があるのですが、知的障害者についてのモデル工場の申請企業がありません。国としては知的障害者のモデル工場が必要なんです。日本理化学さんには、昭和40年に石田労働大臣が行っていますよね。何とか知的障害者のモデル工場申請に手を挙げてくれませんか」と。大変迷いましたが、1億2千万円の融資制度を活用して、川崎市高津区に作ったのが今の川崎工場です。
日本理化学工業(株)川崎工場
たまたまモデル工場の申請の中で一番早くオーケーしていただいて、モデル工場第1号になったので、モデル工場グループの世話役などをするチャンスも与えられました。雇用率50%以上からスタートしましたから、年数がたてば70%を超える雇用も当然だったのです。
ただ、企業である以上はお金を貸してくれるからと言って、簡単に借りるわけにはまいりません。あのころ、昭和50年前後というのはオイルショックの大変な時期でしたので、当社は、都市銀行との交流はあっても、実際のお金を借りる取り引きは、大体信用金庫レベルでした。  
早速、国がオーケーしてくれたので、J信用金庫に行きました。「1億ちょっとの売上しかない日本理化学さんが、20年償還とはいえ、お金を借りて、こんな時世に無理じゃないですか」と言われてしまいました。ところが、本当に当社はラッキーでした。大田区の工場に、得意先開拓をしていたM銀行の営業の方がたまたま来られました。M銀行さんとの取り引きはなかったんですが、「実はこれこれこういうことで断られてしまって困っているんです」と言ったら、「ちょっと待ってください。うちの支店長に相談してみます」と言ってくれたのです。それで、それまで全然取り引きも口座もなかった当社にM銀行さんはオーケーをしてくれたのです。そのおかげで、日本理化学は1億2千万円を国から借りることができて、現在のモデル工場ができたのです。  
そんなラッキーなことがあったことに加えて、さらに、ラッキーなヒントを思いついて、これならモデル工場を何とか頑張れそうだと思ったんです。  
それは、重度の知的障害者の方は、長い人でも1カ月ぐらい、お父さんかお母さんのどちらかの送り迎えをしてもらい、そして1カ月ぐらいたったころ、「もう降りる駅も覚えたので、そろそろ一人でやります」ということで、一人で通勤できるようになっていくのです。  
彼らはその後一人で来ても、ちゃんと朝早く事故も起こさずに来ています。それで、彼らは自分一人の判断で行動するのはどういうときなんだろう、と観察しました。やさしい仕事だと思ってもなかなかちゃんとやってくれないし、どういうときに一人で判断しているのかなと。ハッと浮かんだのは、交通信号でした。あの広い通りを安全に渡り、事故も起こさずに一人で来るというのは、信号の色の区別がつくからだろう。赤で止まって、青で横断歩道を渡ってくる。そうか、字を読めなくたって、色の区別ができるんだ。それなら、チョークを作る作業の中で、色でその仕事ができるように何か考えられないかな、と。これが本当にありがたい思いつきだったのです。  
そこで私は、材料の計量作業に色を取り入れてやったんです。最初の2人の女の子は一生懸命やってくれていましたが、人数が増えてくると、全員が同じようにできるわけではありません。これが知的障害者なのかなと、ちょっとがっかりしながら、それでも何とかしないといけないといったときに、落ち着きのなかった障害者に色合わせにより作業をする方法を思いつきました。  
通常、材料を計量するといったら、材料袋の印刷の文字を見て読んで、ちゃんと何の材料か判断し、まして計量の単位を理解できなかったら計量はできません。  
そこで、色が分かるならと、材料袋より一回り大きな缶を用意し、それを赤く塗りました。そして、必要量の錘を作り、缶と同じ色に赤く塗りました。「赤い缶に入った材料を量るときは赤い錘を秤に乗せて、青い缶に入っているものは青い錘を乗せるんだよ。」そして材料を乗せて、目盛りは一切触らせずに、「針が真ん中で止まったら、五つ数えてちゃんと止まっていたら下ろすんだよ」と教えました。 大事な材料の計量の仕事ですから、ちょっとの誤差があってもいけないので、途中で何回もマネージャーが、ときどき行っては、「オッ、ちゃんと言ったとおりやっているね。すごいじゃない」と言って褒めながらやっていましたが、飽きてしまうかと思ったら、意に反して一生懸命集中して取り組み、30幾つのロットをやってしまったのです。 しかも職員が言うのには、終わった途端に、「『終わりました。もっとやっていいですか』という言葉が彼から出たんですよ」と。  
そこで私どもは、こういう知的なハンディのある人たちでも、自分の理解力の中であればできる。そしてかつ周りから褒められれば頑張ってやる。そういう環境を作ってあげれば、むしろ彼らは一生懸命やってくれるのだということに気がつきました。  
以後、それぞれの障害者の理解力に合わせて段取りを作っていきました。例えば、ミキサーでチョークを練る時に機械を何分か回します。スイッチを入れたら、砂時計を引っくり返して、上の砂が全部下に落ちたら、またスイッチを押して止める。こうしますと、本人は何分かわからなくても、砂時計を使って作業をやってくれれば、ちゃんと時間どおりに作業ができます。  
まして当社は、JISの認可工場のために、チョークの長さ、太さ、折損強度値もちゃんと決まっていて、太さは11±0.5ミリです。 それが、現在、たった1人のマネージャーと13人の知的障害者でチョークを作っておりますので、当然知的障害者が、中間検査にもかかわってやっています。太さといったら、ノギスを使わなかったらできません。主尺、副尺のついたゲージを理解するのは彼らにとって大変です。太さ11±0.5ミリということは、11.5ミリよりも太くてはいけない、または10.5ミリよりも細くなってもいけない、と考えて、入り口は11.5ミリの溝を掘り、それを深くして、10.5ミリ以下になると下に落ちる治具を作りました。入り口で11.5ミリに入れば、11.5ミリ以内です。下に落ちないということは10.5ミリ以上あるので、途中で引っかかっていれば合格、下へ落ちたら不合格。こういうことで品質検査もしてくれております。  
そうやって当社では、1人の健常者と13人の知的障害者が、JISの認可工場としての品質を維持しながらやっております。  
彼らの理解力に合わせてやることで、彼らは集中してやってくれます。ですから、生産性も普通の企業と比べても、本当に一生懸命やってくれるのでそんなに遜色ないんです。  
また、そういう障害者1人ずつに指導員が必要と考えるのが通常ですが、当社ではたった1人のマネージャーが13人の面倒を見ながらJISの製品をつくっているのには、もう一つ考えたことがあります。  
この知的障害者13人の中に班長制度を設けております。中軽度の中で2人の班長がおりますので、重度の人は、一つの仕事を覚えるのがやっとのところ、彼らは2つ、3つ余分に仕事を覚えられ、且つ、周りの人に親切に教えてあげられる人を班長にして、マネージャーの助手を務めてもらっています。  
この班長制度を始めた理由は、中軽度でIQのどちらかというと高いほうのレベルの人、学校では先生の助手をやって、先生を応援しながら、「はい、○○君、みんなに教えてあげて」というようなレベルの人です。ところが、むしろこういう人は、「僕は、こんなに字も読めないし、数のできない人たちと一緒に仕事をするのは嫌だ。もっとちゃんとした会社で仕事をしたい」という人もいて、定着が良くなかったんです。何かというとすぐ「辞める」という話になったので、そういう人をむしろ班長として、ほかのメンバーの面倒を見る立場のポストを作り、みんなに親切に教えてあげるのが仕事というふうにしたのです。その結果、実際に定着率が良くなっただけではなく、この班長が親切に教えてくれているんです。むしろ健常者から見ると、そこまで親切に教えなくてもいいというくらい親切なのです。そういうことで、健常者の指導員を何人も雇用する必要がなく、人件費に負担を掛けずに、それぞれが一生懸命集中してやってくれているので、よその企業と比べて、そんなに生産性も落とさず経費もかけずにできています。おかげさまで、川崎と北海道の2工場で、1日20万本の生産を達成でき、それだけのシェアを占める会社になっています。
昭和50年(1975年)から20年以上、30何年を過ぎ、おかげさまで借用した1億2千万円をちゃんと4.7%の利息も加えて返済を終えることができました。
ですから、知的障害者でも、彼らの理解力に合わせた工夫の中で展開すれば、何とか経営できるということを世の中に示すことができたのではないかと私は思っております。
←前のページへ 次のページへ→
   
    Copyright (C) 2007 JAPAN BUSINESS FORMS ASSOCIATION. all rights reserved.
業務委員会
資材委員会
国際委員会
市場委員会
技術委員会
環境委員会
会長あいさつ
概 要
あゆみ
事業活動
役員紹介
各地区事務局連絡先
理事会情報
規 定