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  平成23年度第2回講演会(平成23年8月25日開催)
「自分を経営する」
 (4) 
       ―「創造性経営する」「エッジをきかせるためには」―
       講演  早稲田大学大学院 教授
            早稲田大学社会連携研究所 所長
            友成真一 氏
この世界の構造を読み解く
以上をすべて踏まえまして、「この世界の構造」を読み解くということです。さっき「マクロ」と「ミクロ」の話をしました。それから「タコつぼ」と「素ダコ」の話をしました。これを合体して、「この世界の構造」はどういうことになっているか。
「マクロ」なものが「タコつぼ」です。「マクロ」方向にどんどん思考を進めた先に会社という組織であったり、日本国という組織がでてくるのですが、これらはすべて「タコつぼ」的なものです。
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「ミクロ」なものの先端にあるのはひとりの存在ですから、ひとりの存在をどんどん突き詰めていったあとに出てくるのが、「素ダコ」ちゃんということです。以上をまとめると、「マクロ」なものをどんどん突き詰めると、「タコつぼ」的なものになり、「分断」され「差別化」されて「衝突」に発展していくということです。そして、「ミクロ」なものをどんどん掘り下げていくと、「素ダコ」的な世界に行き、それは「連帯」構造にいく。ただそれだけの話です。一種の思い込みとも言えます。  
さて「世の中の構造」はどっちに向かっているかというと、明らかに「マクロ」な「タコつぼ」方向の圧力が加えられているということです。ですから会社という「タコつぼ」の中では、売上を伸ばす、自身の業績を伸ばす、会社を大きくしよう、ということになるわけで、その圧力は強力です。
変化・流動化・複雑化・多様化つづける「タコつぼ」
さらに思考を進めると、「分断・差別化・衝突」する「タコつぼ」は、「数・量・種類」がどんどん増えていきます。皆さん、自分が縄文時代に生きていたころのことを思い出してください。みなさんのDNAの中にちゃんと記憶がすりこまれていますから思い出していただければわかります。縄文時代にはどうやって生活していましたか。小さなコミュニティにいて、家族がありますね。男は狩猟にいきます。女性たちは子どもを育てている。
そんな世界の状況の中における「タコつぼ」とはいったい何ですか。家という「タコつぼ」があります。夫という「タコつぼ」があるかもしれない。でも、社会的な肩書もありません。お金もありません。「タコつぼ」はほとんどないんです。非常に貧弱な「タコつぼ」しかないんです。
ところが、現代社会に生きるわたしたちのまわりには「タコつぼ」はいっぱいあるんです。それはモノであり、組織であり、企業であり、資格ですが、これは全部「タコつぼ」なんです。ということは、人類文明が発達してくると、「タコつぼ」がどんどん量産化されるということなんです。どんどんいろんな「タコつぼ」が出てきます。その「タコつぼ」をうまく操るということから実はビジネスが立ち上がる。だから「タコつぼ」は、数も量も種類もどんどん拡大していきます。
それが変化し、流動化し、複雑化し、多様化する。これが「タコつぼ」です。でも、その変化し、流動化し、複雑化し、多様化するものが、究極的には「分断・差別化・衝突」という図式を持っているということを頭に入れておく必要があります。だから、常に企業は競争です。ぶつかり合いです。アメリカ的な思想というのは、どちらかというとこちら側の思想です。勝ち組と負け組。競争して勝てば善で、負けるのは劣っていることだと。これは「タコつぼ」的な論理です。
変化しない「素ダコ」
さて、「素ダコ」はどうでしょう。縄文時代の「素ダコ」ちゃんと、今の皆さんの現代の「素ダコ」ちゃんは何か変化したでしょうか。人間存在の本質が何か変化しているでしょうか。たぶん「素ダコ」ちゃんは変化していないと思います。そうするとこの「素ダコ」ちゃんというのは、人類誕生以来変わっていないわけです。人間の本質はそれほど大きく変化したとは思えないということです。
そして「タコつぼ」方向の動きは活発な「知的エネルギーの活動」によって生じている。知的活動というのは、「タコつぼ」づくりの一種の能力です。そういうものが非常に活発に動き回ります。世の中の動きは、知の頂点に立つ人にとって都合のいい構造になっているのです。
一方「素ダコ」方向の動きは弱く、「心的エネルギーの活動」が極めて乏しいことに由来しています。もっというと、人間の本質的なことを考え続ける活動。これは非常に乏しい。こういう図式になっているということです。
さて、さっきと同じように、このミクロな「素ダコ」方向に向かう矢印をどうするんですかということが現在問われているわけです。
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3.11で損壊したもの
次に、「3.11で損壊したもの」は何か。3.11でいろんなものが壊れました。では、いったい何が壊れたのか。その多くは「タコつぼ」的世界の損壊でした。原子力発電所、ライフライン、防波堤、家。これは全部「タコつぼ」です。「タコつぼ」が壊れたわけです。
地球が勝手に揺れたことによって津波が生じたというのは、非常に「タコつぼ」的な事象です。それによって損壊したのが「タコつぼ」です。
問題は、「素ダコ」的な世界です。「素ダコ」的世界
の損壊は一体何だったのかということです。これは、「関係性の損壊」ということを、佐々木滋生さんが言っております。
では、「関係性の損壊」とは何か。約2万人の亡くなられた方々と、残された方々との関係性です。さらには、被災されたこの方と、同じく被災されたあの方との関係性です。被災されたこの方とボランティアのあの方との関係性です。さらには、被災されたこの方と、家に残された家畜、ペットとの関係性です。
このような様々な「関係性の損壊」が本質的に生じているのではないでしょうか。そしてこの損壊状況をどうするんですかという問題が、実は本質的な問題として横たわっていると思うのです。
にもかかわらず、さっきの復興構想会議で出された7つの提言で、果たして「関係性の損壊」に対して、ちゃんとした議論がなされ、何らかの手が打たれているかというと、ほとんどが、「タコつぼ」的な世界の損壊をどうやって修復しましょうかということに終止しているんです。これがいま我々が置かれている状況です。ここをちゃんと解いておかないと、我々はひたすら「タコつぼ」的損壊に対する「タコつぼ」的修復を追求するモデルの中に放り込まれるわけです。
大変悲しい話しですが、3.11のときに何名かの企業家はチャンスだと思ったはずです。だって、企業経営にとっては、社会が動いたときがチャンスなんです。社会が動いたときに新しい市場が生まれる、社会の仕組みが変わる、社会の構造がねじれる、そのときがビジネスチャンスなんです。しかしこの思考はひたすら「タコつぼ」構造の中にとどまり、結局は「分断、差別化、衝突」をうみだします。
われわれはおおかたこの「タコつぼ」的な圧力にさられて生きています。3.11以降のフォーム印刷の将来像、これはビジネスとしては結構いろいろあるんじゃないかと思います。フォーム印刷が「タコつぼ」的なビジネスを拡大していくことを別に悪いと言っているわけではありません。しかし、「タコつぼ」方向の思考形態はおそらく最終的には「衝突」を生んでいく。別の考え方を持った人とお互いに「衝突」して、市場を取る取らないという競争関係になる、ということを言っているんです。
水俣の教訓
われわれは「水俣病」という痛ましい過去をすでに経験しています。でもわれわれは「水俣病」からほとんど何も受け取っていないのではないかとも思われます。3.11で起こったことと「水俣」で起こったことには類似性があると考えられます。  
「水俣病から何を受け取ったのか」という問題提起ですが、ここではある本の一説を掲げます。緒方正人という方の本です――「チッソは私であった」という本を読んだことのある方はいらっしゃいますか。  
第2回講演会 友成教授
緒方正人という方は水俣の漁師です。水俣病患者の認定運動に身を投じ、先頭に立ってチッソと対決していくわけです。しかしあるときに緒方さんは狂うんです。狂った先に認定申請を自分で取り下げて一介の漁師に戻るんです。なぜ緒方さんがそうなったかということについて、本の一節をあげたいと思います。 「『私という存在の理由、絶対的根拠のなさ』を暴露したのである。立場を入れ替えてみれば、私もまた欲望の価値構造の中で同じことをしたのではないかという、かつてない逆転の戦慄に私は奈落の底に突き落とされるような衝撃を覚え狂った」。  
これは何かというと、自分がもしチッソの社員だとしたら、同じことをやったのではないかと。ということは、自分が今こうやって認定という権利をかけた闘いをやっている姿と、チッソの社員として公害を隠し続ける行為と、構造的には全く同じなのではないかということを悟ってしまうのです。これは相当衝撃的な深い悟りです。  
次にいきます。  
「狂って狂って考えていった先に気づいたのが、巨大な『システム社会』でした。時代の価値観が構造的に組み込まれている。それは非常に怖い世界として見えました。そこから身を剥がねばならないと思って認定申請を取り下げました」。  
巨大な「システム社会」なんです。それは「タコつぼ」です。「マクロ」と「ミクロ」の考え方では「マクロ」です。「マクロ」な「タコつぼ」構造が巨大な「システム社会」ということです。緒方さんはそこに戦慄するんです。  
その巨大な「システム社会」の構造の中で、いわゆる価値構造という中に自分ががんじがらめになっているその構造に気づいてしまうんです。だから戦慄を覚え、その構造の中では果てしない闘争関係にしかならない。闘争関係がずっと続くしかないんだというふうに悟るんです。  
次です。
「水俣の漁民や被害者たちの精神世界からの呼びかけこそ、闘いの最も肝心なところではなかったのか。命の尊さ、命の連なる世界に一緒に生きていこうという呼びかけが、水俣病事件の問いの核心ではないのか。その問いは決して加害者だけに向けられたものではなくて、それこそあらゆる方向に発せられていると思います」。  
緒方さんは水俣病がなげかけたものを、精神世界からの呼びかけ、命の尊さ、命の連なる世界に一緒に生きていこうとする呼びかけ、これは一種の「素ダコ」的な「連帯」の世界なのですが、その「連帯」の世界の重要性を水俣病が問いかけたのではないか。それは単に加害者と被害者だけではなくて、日本全体に向けて、世界全体に向けてなげかけているのが水俣病の本質ではないか。  
さて、「命の記憶を取り戻すために3つ重要ことがあります」。漁民たちは、「@水俣病事件が始まった当初から魚を食べ続けてきた。A母親のお腹の中で水俣病になった胎児性の子どもが生まれても、産み育てつづけてきた。Bこちらからは一人も殺してはいない、という事実」。  
水俣病の患者たち、漁民たちがやった3つのこと。それは、魚を食べ続けた。自分たちは自然との関係性を切らなかった。なおかつ、生まれてくる子どもが、胎児性の水俣病の子どもであるということが分かっているにもかかわらず産み続ける。そしてその子どもを育て続ける。命の「連帯」性についての深い認識をもち続けた。一般的なわれわれの常識からすると、それはもうちょっといいやり方があるんじゃないかと、もっと効率的に何かできなかったのということがありますが、そうではないんです。  
それから水俣のほうからは一人もチッソの人間を殺してはいない。自分たちはたくさん殺されたけれども、自分たちは命の尊さのつながりの中で生きているわけだから、自分たちからチッソの社員を一人も殺したことはなかった。こういうことを緒方さんは指摘するんですね。
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