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―第1回「印刷と私」コンテストの受賞作品―
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小山薫堂最優秀賞 「若き詩人の思い出」 石島 幹男
講評:自分の文章が活字になる喜びを軽やか且つしっとりと綴った秀作。 最後のオチも心地よく、まるで昭和の文豪の随筆を読んでいるような気分になりました。
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多分小学校の頃だった。教科書で出会った高村光太郎に衝撃を受けた。出会った作品は『レモン哀歌』であった。短い文章と小説とは違った形式であるにもかかわらず、その言葉ひとつひとつが力強く、目の前に広がるレモンの香りと智恵子の姿を、感動を超えた衝撃で感じていた。
中学に入ると様々な詩人の作品を貪るように読み漁った。中原中也の何とステキで情熱的なことか。萩原朔太郎の研ぎ澄まされた感性は何と抒情的なことか。石垣りんの日常に秘めた優しさが、何と憂いを持っていることか。通学カバンの中には、いつも誰かの詩集が入っていた。そして、その詩人たちへの憧れは、当然ながら私を詩作の日々へと誘ってくれた。
高校に入り、その情熱は更に熱いものとなった。時折、大学ノートに詩を書き溜め、殴り書きの詩を改めて新しいノートに清書する日々が続き、そのノートも五冊を超えるまでになった。
私には兄がいた。農家育ちの三人兄弟の二番目は東京の印刷会社に就職した。無類の小説好きという事もあり、本の傍で仕事をしたかったというのが、その理由らしい。もちろん、私が書き溜めていた詩も、その時々の兄の評価を受けて、益々没頭していた頃でもある。
『本作ってみるか』という兄の一言があった。まだ、ワープロが出始めの時代で、活字は憧れでしかなかった。そんな私の憧れを察して、印刷会社に入社した兄が、そんな一言を言ってくれた。
二ヵ月後。私の書き溜めた詩が、手書きではない、しかも製本された詩集として二百部が完成した。活字として生まれ変わった私の詩は、詩そのものよりも、その活字の美しさと凛とした本の力を感じさせた。活字という魔力が、私を震える程に興奮させた瞬間でもあった。もう、三十年が経ったが、その一冊はまだ私の本棚に、宝物として大切に納められている。
そして、私も印刷会社に就職をした。あの、震える程の興奮をまた味わう為に。
「史上最悪の私」 馬場 一恵
講評:母と娘のやりとりが微笑ましく、その時の情景が浮かんできます。読んでいてとても優しい気持ちになりました。
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小学五年生のとき、バレエ教室の発表会に出た。もう四十年も前のことだ。
プログラムに載せる写真をプロが撮影したのだが、その出来がそれはひどいものだった。ポーズをとる姿がぎこちないのはともかく、鼻の穴が大きく黒々と目立ち、口は半開き。目線は真っ直ぐだが、あまりにも正面すぎて立体感がまるでない。清潔感からも、バレエの美しさからも程遠いものだった。
「ごめんね、これが一番よく撮れていたの」とバレエの先生は真顔で謝り、両親は「こんな写真を」と怒り出す。撮り直す日程の余裕もない。発表会を直前に、子供だった私は動揺し、ひどく傷ついていた。
当時の印刷の修正技術もはねつける「史上最悪の私」を載せたプログラムは、発表会後即座に破棄され、私は間もなくバレエをやめた。初めてのソロは見事に暗転した。
中年になって再開したバレエの発表会間近、母が突然「最悪の私」のプログラムの話をし出した。長い闘病で脳症を繰り返していた母は、既に筋道立った会話が難しい。なのに、けらけら笑いながら「あの写真、ひどかったよね。ほんとはもっとかわいいよ。ムキになって捨てちゃったけど取っておくんだった」。にわかに正気を取り戻した母に驚きながら、私もつられて笑った。涙がでるほど笑った。
今度の発表会は大人中心のバレエ教室だから、プログラムに写真は載らない。シンプルな表紙で、演目と出演者名が載っている。本番の一週間前に危篤に陥った母は、プログラムを見せると、震える指で私の名前を何度もなぞった。病室で衣装を着てみせる私と印刷された名前を、涙を浮かべて見続けた。
母がそばで見ていると思いながら私は舞台で踊り、翌日母は静かに他界した。
プログラムを母の棺に入れようと思ったけれど、やっぱり私が持っていたい。暗黒裡に葬り去った「史上最悪の私」のほうを、母には向こうで眺めていてもらおう。
小山薫堂優秀賞 「消えた人生(心の名簿)」 小山 年男
講評:印刷関係者にとっては心が痛む題材でありながらも、そこには優しさと希望があり、大いなるエールが込められていてとても良かったです。心の名簿という副題も素敵です。
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ある日、分厚い書籍が入った郵便物が届いた。開けると「創立百周年記念卒業生名簿」と記した本が入っていた。丁寧にページを捲ると懐かしい同僚教師、そして教え子達の名前がずらっと並んでいた。読み進んでゆくと「あれっ」無い! 私の名前が無いのだ。三十年近く勤め上げた私の人生が消えている。単なる印刷ミスか、担当係の手抜きかと想像を巡らした。再発行は勿論無理。私は無念の思いで沈黙を守ることにした。
昔、私が小学生だった頃、家が貧しかったので進学は無理だった。皮肉な事にその学校は我が家の前にあった。友人が立派な制服を着て、誇らしげに通学するのを羨ましげに眺めるだけだった。
戦争が終わって、食糧事情の悪いのを覚悟で上京した。都内の新聞店に住み込み、都立高校の定時制に通った。雨の日も風の日も、寒い冬も暑い夏も、夢に向って配達し、勉強した。恋も青春も私には縁が無かった。その甲斐あって無事大学を卒業、教員免許もとれた。就職浪人も経験したが、運よく教員採用試験に合格、晴れて先生になれた。
その赴任校は何と家の前の、あの高校であった。制服ではなく背広であったが、その門をくぐる時は涙が止まらなかった。その学校にはそんな思い入れがあったのである。
今、名簿に名前が無かった悔しい思いはもう無い。何故なら卒業生から「先生のお陰」でと栄転の報せが届いたし、別の教え子からは結婚式の招待状が寄せられたから。そう、私の名前は名簿に無くても、みんなの心に立派に残っているんだと確信したので。
「捨てられない紙袋」 田崎 敦
講評:全てのクリエイターにとって最も大切な哲学が綴られています。このエピソードを人生の宝物として心に刻んでいらっしゃるところも素敵です。
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「捨てられない紙袋を作りたいのだけど」電話の主はそう言った。
その日も、いつもと変わらない仕事をしていた。私は、印刷会社に勤務している。お客様の要望でチラシやパンフレットを印刷している。その印刷物の結末はわからないが任務を果たせばお払い箱といったところか。
このような感覚の私にとって「捨てられない紙袋」というフレーズが新鮮に感じられた。
電話の主は美容師であった。自分で帽子のデザイン、販売をしていてその際の商品を入れる紙袋を作りたいというものであった。ここまでなら、よくある問い合わせなのだが、美容師は違っていた。ただの紙袋ではないのだ。
後日、来社され話をうかがった。 「袋は商品を入れるもの。必要なものは商品であり袋は捨てられる。しかしそれは大人になった今の感覚であり、子供の頃は、その袋でさえ遊び道具になっていた。お面のように被って遊んでいませんでしたか?」このように話す美容師の目は子供のように輝いていた。
「なるほど、捨てられない袋とはそういうことか」
いつしか、美容師のペースに引きずり込まれていく私がいた。懐かしくもあり心地の良い感覚であった。
紙の袋にお面のイラストを逆さ向きに印刷する。そうすることで、紙袋は商品を入れるという任務が完了した後に、目と口の部分を切り抜き逆さまにして被ることで、お面という第二の任務がスタートする。
完成した「捨てられない紙袋」を手にした美容師の笑顔は今でも忘れられない。何度も何度も「いいでしょ、これ。最高ですよ」と自分で被って喜んでいた。
喜んでいただけることはモノ作りの人間にとって最高の幸せであるが、それ以上のものをいただけた気がする。モノ作りの私が忘れかけていたもの、作ったものをいつまでも使っていただける幸せ。大切にするということは大それたことではなく、このような想いを形にすることでできるということで叶えることができることを教えてくれたのであった。
優秀賞 「わたしの詩と日記と作文」 坂井 和代
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ボロボロになったセピア色の紙で出来た文集。
四十四年も前に作られたのにいまだに大切に手元に保管している。
初めて私の字が印刷された文集のタイトルはわたしの詩と日記と作文。
「今日から担任です。先生は国語が大好きなのでみんなにも書くのが好きになってほしいです」
小学三年生の時受け持って下さったのは五十代のおばちゃんの先生だった。放課後になると先生は原稿用紙を持ち「何枚でも書いていいよ」と終礼の後残る。
「その日にあった事を書いてみたら。でも朝起きました、顔を洗いました、ご飯を食べました。では作文にならないよ。一つの事を観察して表現するのが作文なんだよ」と。居残って書く子は最初は少なかった。
「はいできた」と書いた物を見せると「ここはいい表現だね」と具体的に褒めてくれ、ここをもう少し深く書いて欲しいなとアドバイスをくれると子供ながらヤル気がおこる。「いいのが出来たら文集を作ろう」と張り切る先生。いつしか全員が居残りして原稿用紙に何かを書くようになった。
「ガリ版刷りするけど手伝いしてくれる子はいる?」
「はい」と手を挙げた中の一人だった。前年に引っ越しをしてきたから友達の少ない私は放課後の居残りに書く作文の時間が何よりの楽しみで文集が出来るのを心待ちにしていた。「先生のやるのを見ていて」ロウ紙に書かれた文字がローラーで刷られてワラ半紙に文字が印刷される。部屋にはインクの香りが漂う。初めて自分の字がクラス全員分の数に刷られた時は感動した。分担作業は連帯意識を生む。
「一緒に帰ろう」と作業が終わる頃には友達になっていた。
「今日はプレゼントがあります」
製本された文集を次の日配ってくれた。真っ先に開く自分の文章。文集からはワラ半紙とインクと先生の温かい気持ちが伝わって来て一生の宝物にしようと心に決めていた。
今開くとボロボロと落ちる程劣化した文集は私にとってのバイブルになっている。
「色褪せたパンフレットから伝わる愛」 生越 寛子
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私の母はとても忙しい人でした。私が小さい頃から仕事をしており、小学校の参観などもあまり来ることはありませんでした。私は小さい頃からバイオリンを習っており、音楽大学へ進学してバイオリンを専門に習うことにしました。音楽大学は普通大学とは違い、人前でたくさん演奏をします。演奏会も一年に何回もあります。一年で最も大きな演奏会には学生の親たちが演奏を聴きに来てくれて、演奏の上達具合などを嬉しそうに話し合いながら帰る姿を、いつも後ろから眺めていたものです。
大学院へ進学したのちも母は一度も演奏会に来てくれることはありませんでした。大きな舞台に立つときなどは顔写真入りのポスターやチラシなどもたくさんあり、母の友人や知りあいの方たちがたくさんチケットを購入してくれました。その娘の姿を見ても母が演奏会に来てくれることはなく、とても寂しい思いをしました。
私が結婚してしばらくしてからの事でした。母が末期癌と宣告されたのは。あと三ヶ月という厳しい宣告でした。満開の桜を窓から一緒に眺め、その桜が葉桜になる頃に母はこの世を去りました。心が落ち着き母の荷物を整理していた時、ある箱がクローゼットの奥から出てきました。
その大きな箱には私の母子手帳や小さな頃からの記録や通信簿や絵や習字などたくさんの想い出が詰まっていました。そして、最後には今まで出演してきた演奏会の全てのチラシやパンフレットが。何年も経って、色褪せても丁寧に重ねて取ってありました。
母の心は演奏会に来て私の演奏を聴いてくれていたのだとようやくわかりました。母の心がその箱の中には溢れていました。温かい愛と共に。私はその箱を抱きしめながら泣きました。今まで母へ思い違いをしていたことを後悔しながら泣きました。お母さんごめんね。そしてありがとう。そのパンフレットの束を私はまた大切に箱にしまいました。また母の心に触れたくなったら開けよう。
「インクと切り抜き」 柴田 明子
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母は毎月婦人誌を購読していた。バス停前にある本屋が自転車で配達してくれた。ガタンと自転車が止まる音を聞くと誰よりも先に私は受け取りに行った。
私は真新しい本の匂い、誰もまだページを開いていないインクの匂いが好きだ。そして何よりも心を弾ませてくれたのはカラーページだ。今ほどに鮮明でなかったが、カラーページをそっと剥すようにめくるのも楽しかった。なぜかよく数ページがくっついていたものだ。
夏休みになって私はずっとしたくて堪らなかったことを決行した。料理のページ、家具や洋服など目につくものを全て切り抜いて、厚紙に貼った。文字のページを除いてすだれ状態になった本を見て、母は目を見張ったが叱らなかった。私は洋食屋さん、果物屋さん、洋服屋さんになれた。近所の仲良しを集めてごっこ遊びに夢中になった。切り抜きが入った菓子箱は私の宝箱だった。
弟達が次々小学生になり姉弟三人が学習誌を購入するようになると、母は新年号だけをバス停まで歩いて買いに行った。私は何でこの本だけなんと聞くと、そうやなあ……お母ちゃん、この付録が好きやねんと笑った。新年号には家計簿が付くのだ。そして新年号の表紙は決まって真っ赤で金色の字が浮き上がっていた。私は何となくきまり悪くなって切らずにいると、これ美味しそうやなあと母が教えてくれた。一緒に切り抜きをして宝箱に入れる。ごっこ遊びより母と切り抜き、厚紙に張り付けて眺める方が楽しくなった。嬉しかった。母が亡くなって久しい。
まるで画集のような本のページを軽やかにめくるとき私は思う。母を思う。こんなん食べてみたいな。着てみたいな。お母ちゃん、いっぺん作ってな……と屈託なくいう私に、そうやなあ、ええなあと言いながら母が新しいページに鋏を入れてくれていたことを。真新しいインクの匂いは時々私をちくっと刺す。
それでもやっぱり母が笑って一緒に切り抜きしてくれたことを思い出す。
「一枚のラベル」 疋田 賢司
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「もう少し優しい色になりませんか?」デザイナーが低い声で言う。営業の私がオペレーターに伝えると「優しい色ってどんな色やねん!」オペレーターが叫ぶ。
朝からの立会はもう五時をとっくに過ぎている。これ以上時間がかかればもう紙が足りなくなる。たかがワインのラベルになんでこんなにこだわるのか、「この色のどこが気にいらんねん!」オペレーターがやけくそ気味で叫ぶ。それでももう一度インキを刷りだした。
少しのインキ配合で微妙に色は変わる。その辺の感覚を熟練の職人がインキのヘラで表現する。感性が左右する世界だ。
「これでどや!」オペレーターが出した。デザイナーが見つめる、しばし沈黙。この間合いが一番緊張する。「よしこれでいきましょう。OKです」
「やったぁ!」思わず声が出る。「よし!」私は小さくガッツポーズを作った。
やっとOKが出たら外はもう真っ暗。もう疲れ切ってへとへとだ。「もうこんな仕事二度とやりたくない」オペレーターが捨て台詞を言って帰った。
それから三週間くらい経った頃、何気なく朝刊を見て椅子から転げ落ちそうになった。なんとあの苦労して刷ったワインラベルのカラー写真が、新聞広告で全面に出ているのだ。感動で思わず涙が出そうになる。寝起きの娘に朝刊を見せながら大声でいう、「これはお父さんが作ったラベルや!」まだ小学生の娘はキョトンとしている。
新聞紙をつかむように会社に持っていき、オペレーターと喜びを分かち合う。「いいラベルや。デザインがええ」あれだけ文句言っていたのに得意げに自慢している。時間をかけて作った印刷物ほど愛着が出る。苦労していい仕事をすればするほどたくさんの感動をもらえる。 たった一枚のラベルが我々を幸せにしてくれる。たくさんの人に見てもらえる印刷の仕事は楽しい。「仕事を楽しくするのは自分自身や!」ラベルを見ながら小さく独り言を言った。
「空を目指して」 宮坂 宗治郎
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私は子供の頃から空に憧れていた。空が好きだった。
その憧れが大人になって行く中で現実性を帯びて行き、私は大学で宇宙工学を専攻するようになっていた。そして、そんな私の憧れを現実へと誘ってくれたのが、空を目指すためのテキストだった。
そのテキストに印刷された数式に添えられたロケットや衛星、飛行機の写真は、私の未来への憧れを鮮明にイメージさせてくれた。その写真を見ていると、難解な数式なはずなのに苦痛は何もなく、それどころかやる気がどんどん漲ってくるようで、顔までにやけてしまう程だった。
日数を重ねるに連れ、テキストには私の記した書き込みが増えていった。昨今では、電子書籍も昔より利用されるようになっているが、私は印刷されたテキストが好きで、今でも書籍は必ず手に取るようにしている。なぜなら、印刷されたテキストは私にとって自信になるからで、私の字で記された書き込みは私が勉強した証になってくれるし、使い込むうちに手触りで見たいページをめくれるようになってくる。そうやって、印刷されたテキストに私のオリジナルが追加され、そのテキストは私だけのテキストになっていく。
そして、憧れが初めて現実になる時が来た。衛星開発に関わる機会が舞い込み、私は夢中で遅くまで衛星開発に打ち込むようになった。そして、何冊ものテキストが私の相棒のように支えてくれていた。ひどく疲れてくると、お気に入りの衛星や飛行機の写真が載っているページを開いてパワーをもらう。
そして、打ち上げの日、その瞬間はやってきた。私が関わった衛星はロケットに搭載され、空高く飛び立った。私が飛んだわけでもないのに、憧れていた空に近付けた気がして、私はうれしくて仕方がなかった。
空高く飛んで行く衛星を見上げながら、私はテキストを握りしめていた。
school
小学生の部
小山薫堂最優秀賞 「印刷は人を幸せにする」 座間 耀永 10才
講評:10才とは思えない文章力と構成のリズムが秀逸。将来、素晴らしい作品を書いて、ぜひ出版してください。楽しみにしています。
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印刷は人を幸せにする。私が小さい時、私が描いた干支を父が年賀状に印刷してくれた。絵をみんなにほめられてとても嬉しかった。巳年の時は、イラストが偶然「へび」の文字に見えて、良いアイデアだね、とほめられた。印刷で沢山の人と笑顔で話すことができた。
印刷は人を幸せにする。小学生に入ってからは私だけの残暑お見舞いを印刷して送るようにしている。たった数十枚だが、印刷をする。この夏も私の絵を先生とお友達に送った。みんなの笑顔を思い出しながら葉書を書くだけで、自分も幸せになる。
でも、悲しい印刷もある。大好きだった祖父が他界した時は、も中葉書を送った。交番の前に家族を探す印刷も貼ってある。でもそれらはみんな、残された他の人を幸せにするための印刷とも言える。
印刷は人を幸せにする。街にあるポスターや大好きな本や、映画の広告。みんな印刷だ。元気な印刷が好きだ。私は、印刷でもっともっとみんなを笑顔にしたい。
「いんさつだらけ」 坊垣 心都 9才
講評:一見、印刷とは何も関係のない、生き生きとした書き出しが素晴らしいです。紙以外の印刷に向け、「いんさつだらけ」というタイトルをつけたところも独創的で良かったです。
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「ごくごくごく。あーおいしい」
わたしがごはんを食べる時は、とうめいのプラスチックのコップをつかいます。このコップは去年の秋にもらった物で、ペンギンの絵がかいてあります。
きょうパパから、このペンギンがいんさつだと聞きました。それから、わたしのねる時にきるシャツのパンダも、いんさつだと聞きました。わたしの大すきなプリパラのカードもいんさつだと聞きました。ノートも教科書も、先生からもらうしょうじょうもいんさつだそうです。わたしの回りにはいんさつだらけです。いんさつがないとみんながまいかいかくのがたいへんだなと思いますし、ジュースもコーヒーか牛にゅうかわかりません。
いんさつを発明した人にありがとうといいたいし、何でもいんさつできるようにしたみなさんにかんしゃします。
小山薫堂優秀賞 「お父さんの仕事」 甲野 樹 10才
講評:一つのことに感情移入すると、そこに大きな価値が生まれます。それをとても上手に表現しています。
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ぼくのお父さんは印刷オペレーターという仕事をしています。家にはお父さんが印刷した写真集や本がたくさんあります。それはぼくが見たことのあるコマーシャルの写真だったりしてすごいなと思います。
そしてお仕事で使うルーペも家にあり、それをのぞくと、目で見ただけではわからないものが見えます。ぼくの大好きなアニメの本もルーペでのぞくとテンテンが見えて、一色だと思っていたのに、いろんな色がまざっていておもしろいなと思いました。同じ色でも少しずつまざりかたがちがっているのもおどろきました。
一つの本を作るのにたくさんの色があって不思議な世界だと思います。印刷を通じて、ぼくは前よりもっと本を大切にしています。
優秀賞 「私のまわりの印さつ」 中原 百々花 8才
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「印さつ」と聞いて、私は少しもピンとくるものがなかったです。何も思いうかびませんでした。
そこで、私のまわりにどんな「印さつ物」があるのか考えてみました。
一つ、赤ちゃんの時にお母さんが読んでくれた絵本です。だい名は、わすれてしまいましたが、私が生まれてはじめて手にした「印さつ」でした。
二つ、学校で使う教科書やノートです。私たち小学生は一番大切な物です。
三つ、本です。夏休みの読書かんそう文を『はがぬけたらどうするの?』で読みました。とても、おもしろかったし、学びがありました。
「印さつ」によって、多くのみんなが同じ物を同じように学んだり、読めたりするのだと思いました。
「印さつ」は、大切でべんりでほかんもできる、人間の大発明のすごい物だと思います。
「いんさつとわたし」 生関 珠奈 8才
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わたしの住んでいる世界には、『いんさつ』というものがあります。
いんさつとは、言葉、絵、写真など、さまざまなものを何かにうつすということです。
いんさつぶつにはどんなしゅるいがあるのかな?と考えてみると、ポスター、シール、ようふく、でんかせいひんなどが思いつきます。
そして、いんさつのやくわりは何だろう?と考えてみると、自分一人では伝えきれないほどの人たちに何かを伝えることができる、『かんばん』のようなものだと思います。
ほかにも、すぐ見てわからない事のせつめいや、めだたせるというやくわりもあります。
いんさつはとてもべんりで、わたしたちの生活に大きくかかわっているものだと思います。
「学級便り」 西村 洸俊 10才
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ぼくは、えんげき観しょうで「飛べないホタル」という作品を見ました。その作品の感想を書く宿題が出ました。ぼくは、良い言葉を見つけられなかったのでホタルの絵を描きました。
数日後、学級便りが配られました。すると、そこにぼくの絵が載っていました。ぼくは自分の絵が選ばれたと知った時、とてもうれしかったです。自分の作品が印刷されることで、多くの人に見てもらうことが出来ることを初めて知り、印刷物の力に驚きと喜びを感じました。
「いんさつってすごい」 中村 晃 9才
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ぼくは、みのまわりにあるいんさつしてあるものを考えてみました。まず教科書、おかし、たべ物のふくろ、ぼくのすきなマンガ本、いろいろあります。もしこのいんさつ物が、なくなったら、ぼくたちの生活は、どうなるんだろうと思いました。
まず、お店にいっても、なかみがわからない、べん強ができない、マンガも読めない、それでは生活が、できないと思いました。ふだんの生活の中で、こんなにもたくさんのいんさつ物で、あふれていることにきづき、大切さを知りました。
ぼくが学校に行くと、先生から、プリント、手紙をもらいます。その手紙も一まい一まい手で書いていたら、大へんなことになります。いんさつとは、じょうほうを多く広めるためにもあるし、生活をゆたかにするために、なくてはならない物だと思いました。いんさつってすごい。
「身の周りの印刷」 村松 汰一郎 11才
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ぼくが「印刷」と聞いて、初めに思いうかべるものは、コピーやパソコンからデータを送って印刷するものです。しかし、よく考えると、身の周りは印刷物ばかりだということに気が付きます。
ぼくは今年の自由研究で、印刷について調べました。歴史や三版式などを調べましたが、一番関心を持ったのは、印刷技術の応用です。今まで、本やパッケージがほとんどと思っていた印刷が、お札のザラザラしている所にも使用されている特殊印刷、液晶ディスプレー、電子タグなどに応用されていることを知って驚きました。
この夏休みに印刷について調べて、改めて今の世の中は印刷に囲まれているのだと感じました。グーテンベルクの活版印刷の技術が、今の世の中の暮らしを創っていて、印刷なしには生活していけないと思います。
―第2回「印刷と私」コンテストの受賞作品―はこちら
認定状況
GP認定工場 社
GP資機材  製品
 
GPマークの仕組み
❶ 環境配慮の度合いを示します。(3段階)
❷ GPマークは、印刷製品の製造工程と印刷資材が環境配慮されていることを示しています。
❸ GPマークの下には印刷製品を製造した認定工場の認定番号が記されています。
お問い合わせ先
グリーンプリンティング認定制度に関するお問い合わせは、下記にお願いいたします。
〒104-0041
東京都中央区新富1-16-8
日本印刷会館8階 
日印産連グリーンプリンティング認定事務局 ※8階に移転しました。
TEL:03-3553-6123
FAX:03-3553-6079(変更)
Email:gp-nintei@jfpi.or.jp

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